映画「ロッキー」シリーズ、「クリード」シリーズを観ました。
ロッキーは下記6作品。
「ロッキー」「ロッキー2」「ロッキー3」「ロッキー4/炎の友情」「ロッキー5/最後のドラマ」「ロッキー・ザ・ファイナル」
クリードは下記2作品。
「クリード チャンプを継ぐ男」「クリード 炎の宿敵」
も~~~これが大大大大大傑作!!!
中でも「ロッキー・ザ・ファイナル」「クリード チャンプを継ぐ男」「クリード 炎の宿敵」では涙を流し続け、ファイトシーンで拳を握りしめていた。
これらの3作品は私の中のベスト映画に残り続けるであろう作品。
すばらしい。
語りたい。
ロッキーシリーズ(計6作品)
▲ロッキーのテーマ。力が漲る。
「ロッキー」シリーズは王道だ。
ボクシング、ひいてはスポーツといったジャンルでの作品として王道を突き進んでいる。
当時はジャンルの最先端を切り開いた名作も、今となっては展開が丸わかりな作品。
しかし、それでもロッキーにはスクリーンに惹きつける魅力がある。
キャラクター・ミュージック・ビジュアルどれもが素晴らしい。
どれだけベターだとしてもロッキーの世界は美しく、何度も立ち上がるその姿は私たちに勇気を与えてくれる。
そして「ロッキー・ザ・ファイナル」
キャラクターとしてのロッキーも、ロッキー役のシルヴェスター・スタローンも60歳近くにしてリングに立つ。
撮影秘話によると、ファイナルのファイトシーンは本気で殴り合って何度も失神したとのこと。
シリーズを重ねるにつれ、キャラクターは老いていく。
頼もしかったロッキーの顔は皺だらけで、日常の動作もどこか錆びたロボットのようだ。
エイドリアンは亡くなり、息子は社会人となり現実を知り、重ねた月日は作品全体に暗い影を落とす。
それでもロッキーは立ち上がる。
誰でもない自分の為に、60歳を迎えても、リングに立つ。
その姿はあまりに美しく力強く、これまでの「ロッキー」シリーズはロッキー・ザ・ファイナルの為の作品かと思うほど輝いていた。
ロッキーが、無名のボクサーからスターへ。敗北と挫折、家族とのすれ違い、愛する者の死を乗り越えて、自らも死へと近付きながら、なお輝く。
それはボクシング映画を越えてモキュメンタリー作品で。
ロッキーは、共にスターになり老体となったシルヴェスター・スタローンと重なり、ドキュメンタリー作品と錯覚する程の感情移入を生み出す。
▲踏み止まる息子との屈指の名シーン。これまでの全てがロッキーを物語る。
ラストのファイトシーンでは涙をこらえ、拳を握り、ロッキーを応援していた。
令和だけどロッキー・ザ・ファイナルの応援上映しない?ダメ?
いやあ…本当に「ロッキー」シリーズは良かった。完璧な幕引きだった。
…?
………続きがある……?
クリードシリーズ(計2作品)
白々しい書き方したけれど、実はこっちが本命で観始めた「ロッキー」シリーズ。
クリードがやたら評判良いので、じゃあロッキー観るか!ってなった人でした。
ただ、ロッキーを最後まで観てからだと、私は正直な話「これ以上は蛇足」だと思っていたり…
…が、この「クリード」シリーズもまたすばらしくて。
クリードは単なるリブート作品ではなく、自然に、さりげなく、ロッキーシリーズの残した未練を回収する作品だった。
ロッキー3のミッキーと、病によって同じ立場を味わうロッキー。
ロッキー4で残された宿敵との因縁。
ロッキー5でトレーナー交代によって壊れた師弟関係の再演。
これらを見事に消化しながらも、第二世代の主人公であるクリードに繋げるすばらしい作品。
とりわけドラゴのタオル投入は大大大名シーンだった………
あの日のロッキーにドラゴが事実上勝ちを得たシーンだな…と。
それでいて、クリードはリブート作品でありながら、新世代の、どこか「ロッキー」シリーズとは呼ばれたくないんだ!と力強さを感じる作品だと思っていて。
主人公は何不自由ない生活を捨ててまでも憧れたボクシングの道を選ぶ。
待っていたのはスターボクサーである亡き父を自身に重ねる周囲。
そんな周囲を跳ね除け自己としての「クリード」を示し、周囲が抱く「クリード」を誇りに、愛していると成長。
そして幼さを見せながらも父になり、親として、旦那として、一人の男として、立ち上がる。
レフリーの「名前を言えるか」といった確認に「クリードだ!」と幾重にも想いが込められた返事を叩き返す。
▲クリードでの例のテーマ。曲名の「You're a Creed」が最高すぎる…
本作はあらゆる角度から自立を描いた作品であると同時に、第二世代の苦悩を描いた作品でもある。
クリードのように、黄金期を過ぎた第二世代として生まれ、何かを成し遂げても、それは誰かが既に通ってきた道。
プロボクサーに憧れて成った。そのファイトスタイルは過去の偉大なボクサーの模倣。
ボクシング映画に憧れて作った。その作品はロッキーの模倣。
今となってはあらゆるコンテンツが開拓され、ブルーオーシャンなんぞ砂漠のオアシス程度。
クリードは過去の模倣で言わば偽物なのかもしれない。それでも「ロッキー」シリーズという黄金期のレジェンド的作品の本質を宿している。
それで良いんだと。新時代に生きる人たちが成し遂げたことは黄金期に通ってきた道なのかもしれない。
それでも俺は俺なんだと。過去の誰かの生き写しじゃない、新時代の、今なんだと。
これは「ロッキー」の続編ではない。「クリード」なんだと。
「ロッキー」が孤独に道を開拓した人間の生き様を、高次的にも描いた作品だとすれば、
「クリード」はブルーオーシャンが残っていない新時代の中で、過ぎた黄金期を模倣していると呪われる人間の生き様を、高次的にも描いた作品だと信じている。
「ロッキー」はアメリカンドリームを体現する、活力のある作品だった。
「クリード」は新世代への熱いエールを送る、活力ある作品だった。
今すぐ立ち上がって「やる」人生を進みたくなる映画でした。
そんな感じです。