原作である漫画「マイ・ブロークン・マリコ」が好きで表紙違いのTV Bros買うほどドハマりしていた作品の映画なので観た。
良かった。
思いつくままに書き記します
原作を忠実に再現しながら、映画として綺麗に落とし込みながら、
マリコを取り巻くスケールの計り知れない恐ろしさ、マリコへの手の届かなさ、これらが映画化によってより肌身で味わえて良かった。
映画オリジナルの足し引き算も絶妙。
バスシーンはタナダユキさんを強く感じた。
回想のマリコは毎シーン虐待の痕、怪我の個所が異なっていて、それを画としてフォーカスすることもなく。自然に、絶妙な気付かせ方でマリコが置かれている日常を淡々と現実ベースで描いていて。
これが原作に忠実な、故人と向き合った人ならわかるけれど、それでも他者から見るとフィクション味のあるシイノの独白と合わせて、原作の持ち味の一つだと感じていた静と動のメリハリを感じられて嬉しかった。
嬉しかった…と言っていいのか。それはわからないけれど、漫画「マイ・ブロークン・マリコ」と暗澹とした現実に向き合ったからこそ生まれた一本の映画だと思います。
ここからは作品全体の話。
私はマリコとは対極的な存在で。
生まれ育ちはほぼ間違いなく良い方で。ある時期からは周りにも恵まれて、困難はあれど真に苦しむ人に比べると、どうしようもない不条理に脅かされることもなく今を生きられている。
それでも幸せに賢く生きて世界を見渡すほど、世の中は理不尽で弱者に強く、不平等不公平で、小さな幸せを集めて生きるにも対する悪意は人によって至大で、時には死が最も平等な幸せであり正しさを持ってしまう。
私は過去にマリコのような友人が居て、あの時「自分を大切に」ができていれば、彼とその家族と親しい人たちは救われていたのかな、今も楽しく食卓を囲めていたのかな、と思いを馳せる時間がやってくる。
そんな思いも独りよがりで、人と人は分かり合えないし、通じ合えないし、心が凪いでいることが何よりの幸せで、「自分を大切に」を伝える為に動いたかもしれない自分が相手にとって求められる自分とは限らないし、相手の為に自分を犠牲にするのもクソクソクソクソオブクソで自分が一番大事で、人と人が交わって生きるのはクソめんどくさくて痛みが伴うので、世の中自分に都合の良い存在ばかりなら最高って自分もクソ。
「マイ・ブロークン・マリコ」を観に久しぶりに遠出をしたが、レイトショーの時間だったので、すれ違う人々の色は濃く、神経をすり減らす。
こんな世の中で明日は勝手にやってくるし生まれた時から走り続けるマラソンからコースアウトしたなら終わり。なにこれ。
人間どこかで何に対しても見切りを付けなきゃ狂うもんで、世の中は見て見ぬふりが上手い人がコースアウトせずにゴールできる。
今こうして駄文を書いている時間に人が人を殺しているし殺されている。強者が弱者を強姦しているし、奴隷かのように暴力がふるわれている。
毎日人死にのニュースが流れ、誰かにとって心が失われる程の痛ましいニュースも一方誰かにとっては日常に戻ったシイノの目線のように背景として日々流れていく。
くそったれな世の中は善くなって欲しいし、悪意の塊人間はミンチになってほしい。
ただそんなもんで、自分に被害がなければ、家族だって友人だってパートナーだって、相対する視点から見た自分だって所詮は他人。痛みを分かち合うのは面倒だし怖くて、そうして多くは横並びで走る日常に戻り混ざり合って徐々に死にゆく。
シイノが他人の死と割り切ったとしたら、弔えたならマリコからの最後の手紙は呪いか、不幸の手紙かもしれない。
先立つマリコは幸せで、走り続けるシイノは不幸かもしれない。
マキオもタムラも自分が救われたいだけかもしれない。
結局わからないね。でも世の中そんなものじゃない?
そう思えたことが最高の映画でした。
エンディングテーマが「生きのばし」なのが素晴らしく絶妙で唸った。
映画オリジナルの警察署のシーンで、背景に映る『みんなのために』のポスターが妙に記憶に残った。
そんな感じです。